“Japan
Connection”, my essay for the annual report of my alma mater, Tokyo University
of Foreign Studies, Japanese Language Center, published in July 2013
東京外国語大学日本語教育センターの年報に寄稿、2013年7月発行、「修了生の声」のコラム
日本との絆
来日当初
今年6月には日本在住通算10年間を迎えます。文部科学省の奨学生として、2000年に来日し、家族から初めて離れての海外留学という夢に挑みました。まだ高校を卒業したばかりで、物事をきちんと考えられたとはとても思いません。不安を抱えながら、カンボジアにもある「郷に入り、郷に従い」ということわざと、「後悔しないように」という自分なりの行動原則を決めました。後者の原則は、つまり、学業の成果を達成すると同時に日本でしか経験できないことに専念しようということです。
中河原駅にあった「東京外国語大学留学生日本語教育センター」という非常に長い学校の名前を言えるのは当初の同級生の皆の自慢事でした。前期は他の留学生との交流を楽しみましたが、期末試験の成績があまり良くなかったので、後期に入って一気に真面目モードにスイッチ・オンとなりました。いい大学に受かるように毎日夜遅くまで勉強に励んで、人生の中で一番勉強したのはその時でした。
大学と大学院の生活:「マルチ・タスク」と社会人と接点
「日本人学生がやることは私もやる」。アルバイト、サークル、海外研修、学生会議、海外旅行等必ず学外活動を同時にやっていました。アルバイトをやったのは日本語の練習、旅行とお小遣いのためだけではありませんでした。それ以上一つの仕事をしても経験と勉強に得にならないと思った時にはまた違う仕事を探し、決して現状に満足しませんでした。
そのような「マルチ・タスク」で自ら挑戦しながら、社会人との接点も重視していました。社会人から学校で勉強できないコミュニケーション、マナー、服装や言葉使いなどを少しずつ身に付けようとしました。もちろん学生の自由な生き方も十分満喫しました。
振り返ってみたら、そのような経験は学生のときしかできないもので、自分にとって人生の財産となり、仕事に直接生かせない部分もすべて現在の自分のパーソナリティを造形する要素となりました。
再来日と外交官の仕事
カンボジアの外務国際協力省に入省し、3年間経ってから日本に最初の赴任が命じられました。小さい時からの夢だった外交官の仕事、まして日本とカンボジアとの懸け橋となって、日本に復帰できて本当に嬉しかったです。しかし、社会人の生活はやはり学生と違う。その上、外交官の仕事だから、業務にかかる責任以外に国の威厳やプライドも担います。
学校で学んだ知識以外に人間との接触と政治のセンスが重視される仕事だと思います。そこが外交官の仕事の面白さかもしれません。
今までの大きな仕事:「3.11」と「国交60周年」
「日本がカンボジアを支援していたのに、日本が困難に直面するときに逃げるのはけしからん」。東日本大震災のとき、カンボジア大使館の職員はずっと業務を行い、大使館も移動しませんでした。留学生やカンボジア国籍在留者の安否確認に努めました。目に恐ろしい津波の映像は今も記憶にあります。大震災は一方で日本国民の道徳の高さと忍耐強さを世界に証明した事件でもあって、自分も尊敬してやみません。日本に訪問するお客さんがいれば、当時の日本人のマナーの良さを必ず言い伝えます。
明るい面では、本年は日本・カンボジア国交樹立60周年を迎えます。それをお祝いするために関係団体とともに月に一度のイベントを開催しています。大変忙しい年となりますが、国民と国民との交流または相互理解が深まればと考えながら、楽しくやっております。達成感が十分実感できる仕事です。
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